みちみちロードの日常

扁平足の私が思ったことや出来事を綴ります。

合唱コンで1番ふざけてたやつは誰か

合唱コンクールをみんなやってきただろうか。

クラス対抗で合唱をし、その完成度を競うものだ。役割としては伴奏者指揮者歌うやつらに分かれている。

よくよく考えたら、クラスに1人はピアノを弾けるやつがいる前提で成り立っている、狂気のイベントだ。ピアノ弾ける人がいない場合はどうしていたのだろうか。

合唱コンクールと言えば、色々取り上げたいところはあるが、1番はやはり

男子ちゃんと歌って〜!

だろう。何回言われたことか。音楽の先生などにも散々注意された。みんなもこの記憶が1番強いのではないだろうか。

今振り返ると楽しかったとはいえ、少し悪いことをしたなという気持ちもある。まあただ人生を何度繰り返そうが、絶対にふざけてしまうだろう。同じく人生2周以上してる女子がいたら割り切って欲しいところではある。

しかしながら最近ふと思ったことがある

合唱コンで1番ふざけてたのは私たちじゃないのではなかろうか。

そう、ふざけてたのは私たちじゃない真犯人は他にいる。みんなは見当がついてるだろうか。

もったいぶっても仕方ない。早速、真犯人をズバリ言い当てよう。

真犯人は…

 

指揮者、テメェだぁあああ!

 

おいおい。シラを切っても無駄だぞ。ネタは上がってるんだ。大人しく両手を差し出せ

みんなも驚きが隠せないだろう。まさかあの指揮者が真犯人だったとは。まあ私の推理を聞いてもらおう。

まず人物の整理をしよう。最初に言った通り、合唱コンには伴奏者指揮者歌うやつらの三種類の人間しかいない。

伴奏者のアリバイは明白だ。いっちゃん頑張ってる。それだけだ。技術的にも役割の重要さでも伴奏者の右に出るものはいない

次に我々歌うやつらだ。確かに1番注意を受けていたのは歌うやつら、というか男子だ。ただそれこそが今回の事件のカラクだ。"男子"を隠れ蓑にして、裏で1番ふざけていたのは指揮者テメェだ。

技術レベルの話で言えば、歌うやつら指揮者には大きな差はない。どちらも初心者だからだ。

そして何より歌うやつらは本番意外とちゃんとやる。そのため歌うやつらの方がちゃんとやっていると言えるのではないだろうか。

しかし指揮者はふざけてないじゃないか。そう言いたいんだろう。確かに指揮者が目立ってふざけることはない。練習も本番も。

みんなそこで騙されている。このピエロに。役割の重要性を考えてもらいたい。歌と指揮。どちらの方が重要だろうか。

伴奏者歌のテンポを取るために指揮者は重要

笑わせるな!素人中学生の合唱にテンポもクソもあるものか

というのも、伴奏者は技術がずば抜けてるから指揮者を必要としていない。勝手に演奏できる。歌は素人過ぎて指揮者の必要性はない。つまり、指揮者は合唱コンにおいて全く必要ないんだよ!

その点、歌ってるやつら音を出している。失った時の損失を比べて欲しい。歌と指揮者。もうわかっただろう?どちらが大切か。明白だ。

流石にもうみんな気づいただろう。指揮者の必要性の無さに。そう、指揮者は合唱コンにおいて全く必要ないのだ。

必要ないだけならまだいい。みんなまだ気づいてないことがある。よく考えてみて欲しい。指揮者は全く必要ない。にも関わらず壇上で手を振りまくる。つまり…

 

1人だけ全く関係ないことをしているのだ

 

あの張り詰めたステージで1人ダンスを踊っているようなものだ。その不条理さにみんな気づいただろうか。

  • 戦地でマツケンサンバ
  • 葬式のピエロ
  • チームラボにロン毛ジジイ
  • 心霊スポットに現世ジジイ
  • シーシャ屋にジジイ
  • 速いジジイ

これらと全く同じなのだ。合唱コンの指揮者というものは。その異質さがよくわかったのではないだろうか。

ぐうの音も出ないようだな指揮者よ。お前が間違いなく、合唱コンにおいて1番ふざけていた。裁かれる時が来たようだ。

これにて一件落着。

天性のマジシャンになりたい

マジックって結構好きなんだよね。

別にマジックを披露できるわけじゃないし、そんな熱量でもないけど、傍観者としては比較的好きぐらいのモチベーションだ。

現代は科学の進歩によって、多くの事象を説明できる。マジックもタネはあるし説明はできるのだろうが、一見、魔法を使ったのではないかと思わせる凄さがある。

だから好きなのだ。

私もみんなにワクワクを届けてみたくはある。

しかし前述したようにそこまでの熱量ではない。何より私は努力が大嫌いだ。マジックを披露するのに努力が必要ならば、ワクワクなど届けなくていい。クソくらえ。

私は努力じゃなく才能を誉めて欲しい。逸材だと認知してもらえればもうそれでいい。

マジックも天才だと思われたい。あわよくば周りもハッピーにしたい。その両方を叶える案がある。

 

日常的に偶然マジックが出ちゃう人になる。

例えば、くしゃみをしたら鼻から国旗が出ちゃう。みたいな偶然を装ったマジックをする。周りに居合わせた人たちはこの奇跡体験に感動を隠せないだろう。通りすがりのマジシャンも驚愕するだろう。今後マジック界を背負って立つ男が現れたと。

なにより努力の必要がない。鼻に国旗を詰めるだけだ。マジシャンの卵なのだからこのぐらいのクオリティでも文句はないだろう。いきなり努力しまくったマリックと肩を並べる必要はないのだ。

初期値で言えばマリックだって目じゃない。マリックだって意図してない時にマジックは出なかっただろう。

もう少し、天性のマジシャンになる具体的なプランを考えていこう。

マジックと言えばだ。鳩も基本隠しておけばいいだけのようだ。比較的簡単に真似できそうだ。

物を取り出す際に鳩が出ちゃう人になろう。しかしバッグやカバンから出すのは、ただデカいところに小ちゃい物を隠していただけだ。もう少しクオリティを上げたい。

スーツの内ポケットから、名刺交換の際に鳩を出そう。

ここで注意点だ。あくまで偶然を装う。鳩が出たことに自分も驚き、辺りをキョロキョロと見渡さなければならない。仕込んでいたと悟られてはならない。

ビジネスシーンのため失礼の無いようにしよう。

もっと日常の些細なことでも天才感を出していきたい。多くの人の目につくところでこそ才能を遺憾なく発揮したいものだ。

電車だ。通勤、通学で朝の満員電車に乗り込み、喧騒を紛らわすために音楽でも聴こう。ワイヤレスイヤホンを取り出し、耳に装着。

耳がでっかくなっちゃった!

なんでなんでなんで!?えー!?

例のごとく辺りを見渡そう負の感情が立ち込んでいた車内は、花畑にいるのではないかと疑うぐらいの朗らかな笑顔和やかな空気に満ち溢れているだろう。

車内にいるマジシャンは、風雲児の誕生に立ち尽くし、ハットの中にいた逃げ出してしまうだろう。

これで天才だと世間に認知させることができた。また周囲の人に奇跡体験ワクワクを提供できた。

次は何の天才になろうか。

目の乾きに革命を

今週のお題「大発見」

 

めちゃくちゃ大発見をした。

ノーベル賞も必至だ。

みんな生涯に一度はまばたきをせずに、どれだけ目をあけていられるか試したことはあるだろう。10秒以上目をあけてられない人はドライアイだのそんな通説もある。

目をあけていられる時間は、長くても大体20秒程度だろう。しかし私は無限に目をあけていられる。

どうだ驚いたか

本当だぞ。1回もまばたきをしないで、半永久的に目をあけていられることができる。その方法を編み出したのだ。

すごいだろ。

ただ、安心してほしい。朗報だ。

なんと無限目開きは誰にでも習得可能だ!

それを今からみんなに伝授しようっていう話だ。またまた安心して欲しい。金は取らない。

 

まず目をかっぴらいて欲しい。人差し指と親指でまぶたを固定して絶対にまばたきができない状態にして欲しい。

そして白目をむく。

そのまま眼球をまぶたの外周に沿ってぐるぐると回す。可動範囲ギリギリをなぞる感じだ。

なんとこれだけ。これをしていれば目が乾くことはなく、一生まばたきをしないで済む。

本当にすごい発見をした。自分で自分が恐ろしい。余談だが、これは全然眠くない夜にベッドの上で寝転がりながら発見した。発見はいつどこに転がっているかわからないものだ。

世界の歴史はこの記事が出る前と後で二分されることになるだろう。

みんなにもこの世紀の大発見を体感して欲しい。

乱数調整で子どもを育成しよう

私は現状、子どもを欲しいとはそんなに思っていない。というより欲しい欲しくないの議論をしていい段階に全くいない

結婚はおろか、恋人すらいないため子どもを語るなど、手前も手前。子宝リャンシャンテン状態である。

しかし、もし子どもが生まれたらこんな子になって欲しいという願望は多少ある。

まず前提として子どもの人生にあまり干渉したくない。子どものやりたいこと意思尊重したい。私が親にそうやって育てられたこともあり、あまり口出しはしたくないと思っている。

口出しはしたくないものの、習い事などはやった方がいい気がする。これも私の経験からくる考えである。習い事をしていたことで受験就活でかなり得した。

またネットリテラシーは身につけて欲しい。YouTubeTikTok、Xなどで著名人に噛みついたり変な指摘をしていたり、ホラ話を言いふらしまくったりしていたら目も当てられない

しかしネットリテラシーなどは失敗して学ぶことも多いと思う。他のやって欲しいこともそうだ。あくまで私の人生において私が構築した教訓でしかない。子どもの教訓は子どもが作っていくものだ。

だけどやっぱり教えてあげたい。しかし口出しすると子どもはウザがるだろう。このジレンマから逃れられない。願えば願うほど遠くなる。悟りの境地のようだ。

そこで考えた。それとなく子どもに道を作ってあげることだ。そうすることで、子どもは口出しされた感を感じづらく、ある程度軌道をコントロールできる。

私は本当はこうなって欲しい!という理想がありながら、そこに導くために特定の不可解な行動をしなくてはならない。

ゲームの乱数調整みたいな挙動をしなきゃいけない。

YouTuberになりたいなどとぬかし始めても、否定せず、とりあえずやらせて世間の厳しさを教えてやらねばならない。

乱数調整で子どもを育てる。そうと決まれば完璧なプランを組まなければならない。なんとなくのニュアンスでやっていては、後々取り返しのつかないことになる。

まずやらなきゃいけない事は子どものステータス決めだ。やっぱり賢くてユーモアがあって明るくて容姿端麗で運動ができる子がいい。

まず子どもが生まれる瞬間に立ち会う。そしたら病院内をウロウロする。次にカバンの中の荷物を全部取り出して並べよう。

出し終わったら順にしまっていこう

助産さんには無駄に話しかけよう。内容は何でもいい。話しかける事が重要なのだ。話しかけさえすれば、後はあっちが勝手に喋ってくれる

これで完璧。一生楽して生きていけるステータスを持った子が生まれる。一安心だ。

完璧なステータスを持って生まれても、途中でダメになってしまう可能性はいくらでもある。その可能性の芽徹底的に絶っていこう。

授業参観というボスか。状態異常会心の一撃を引いて敗北し、子どもが一生インターネットマンになるルートに分岐したらどうしよう。何としても避けなければならない。

まず授業開始時には黒板に背を向けておく。ロッカー側を向いておこう。次に上から1段目、右から4番目のランドセルを取って身につけよう。

しゃがんで立つ、これを2回繰り返す。

あとはスニーク状態で退出するだけでよい。私にかかれば楽勝だ。

もしかしたら成長の過程で子どもに怪しまれるかもしれない。しかし気を強く持たなければならない。全ては子どもが正しく成長するためだ。

周りの目を気にして子育てなどできるものか。子どものためなら何だってやる。それが親としてあるべき姿だ。恥を知れ。愚か者め。

子どもが大人になった時に気づくだろう。授業参観の時、ユウカちゃんのランドセルを背中ミチミチに背負って後ろを向いていたのはこのためか、と。

背中で語るのが親の役目というものだ。

モラルと倫理観を捨てると人生が豊かになる

オープンワールドゲームって面白いよね!

 

ね!?

 

全員が首を縦に振ったので話を進めることにしよう。そうしてもらわないと困る

定義に当てはまるか微妙なところだが、私はスーパーマリオ64が大好きだ。オープンワールド先駆けのようなゲームだ。小学生の頃時間を忘れるほどやっていた。

また世界一売れたゲームとして有名な、マインクラフトもかなり遊んだ。

オープンワールドゲームの醍醐味はなんと言っても自由度の高さだ。こんなこともできるのか!こんなところに隠し要素が!という冒険要素発見が楽しい。

そこで私は思いついた。現実世界でも冒険要素発見があればめちゃくちゃ楽しいのではないか?

現実世界オープンワールドゲームみたいなもんだ。なんならゲームより自由度は高い。でもなぜかあのワクワクを感じることは少ない。

その理由を考えてみた。

オープンワールドゲームの個人的に面白いと思うところをまとめてみた。

  • 建物の上を移動
  • 建物や人工物に入り物色
  • アイテムなどによる様々な移動手段

などである。これを現実世界に当てはめて考える。簡単だ。単純にこれらができると現実世界においてもワクワク感を感じることができる。現実世界でやるだけだ。

しかし現実世界ではこれらはなかなかできるものではない。なぜか。

それは、

「モラルや倫理観があるから」

である。そう、物理的にできないわけではない。現実世界においても建物の上を移動建物を物色様々な移動手段実現可能だ。それをモラル倫理観またはが邪魔をする

しかしこの際、は関係ない。あくまで、できるか否かの仮定の話であって、その後ムショ入りするかは知ったこっちゃない。私はワクワクしたいだけなんだ

現実世界においてテンションの上がりそうなことを考えてみた。まず学校の給食用のエレベーターに乗ることだ。これは実際やったことがある人もいるのではないか。モラル捨てレベルはやや低めである。

学校で言えば避難用の滑り台みたいなやつもアツい。流石にアレを使うやつは私の周りにはいなかった。が、かなりテンション上がりそうだ。

あとはシンプルに家に侵入大豪邸なんかは片っ端から入ってみたいよね。地下ロフト屋根裏部屋があれば最高。

あとは公共施設のスタッフルームなどに潜入すること。地下鉄とかの色んなところに繋がってそうな通路とかめっちゃ面白そう。

移動手段などで言えばトラックの中に潜入などが面白そうだ。勝手にヒッチハイクしたい。あとは飛行アイテムがあれば良いが、これは技術が進むのを願うしかない。

このようにモラルを捨てると、こんなにもワクワクした人生を送れる。しかしまあここまで大きく踏み切ることはなかなか難しい。小さじ1杯分ぐらいのモラルを捨てるぐらいでも、もしかしたら人生を多少彩るかもしれない。

責任は全く負いません。

型破りなジジイになること

今週のお題「習慣にしたいこと・していること」

 

習慣というか私の性格の都合上、常にみんなと違うことをしたいを思っている。良い言い方をし過ぎた。要するに逆張りをしたいだけだ。習慣というより習性に近いところがあるかもしれない。

そして最近それに付随してあることを思った。

「ジジイってある程度の枠の中に収まるよな」

そう。ジジイは数タイプしかいない。

  • 優しいジジイ
  • 頑固ジジイ
  • 怒りのジジイ
  • ボケ老人
  • エロジジイ
  • 趣味ジジイ
  • カスジジイ
  • 自分語りジジイ

などなど。大体このようなジジイしか存在しない。いくつかイレギュラーは存在していても、上記の派生系みたいなタイプしかいない。

生活に関することも型にハマっている。食文化もジジイの食文化である。豆やら漬け物やらジジイっぽいものを食べる。老いがあるため、ある程度食が縛られるのはわかるが、型にハマりすぎだ。

服装もそうだ。ジジイみたいな服しか着ない。

ジジイみたいな性格してジジイみたいな食生活をしてジジイみたいな服を纏う最悪だ。私は絶対にこんなジジイにはなりたくない。

またジジイになって逆張りをすることで真の意味でみんなと違うことができる。逆張り人間の数は年齢と反比例の関係にあるからだ。( 私調べ )逆張りジジイは希少なのだ。

だから私は「型破りなジジイになりたい!」

そう思ったのだ。

型にハマったジジイだらけになるのには原因があると思う。まずは先程言った通り逆張りと年齢は反比例の関係にあることだ。その他の原因"型"が存在してしまっていること自体だ。

が先かが先か。型が後からできたのか先にできたのかは定かではない。しかし型があることが、ジジイをある程度の枠に収束させる原因となっていることは間違いないと思う。ジジイの進路を明示してしまっているからだ。そこに進みたくなるのは人間の心理というものだ。

私はここに気付けた時点で逆張りジジイへの第一歩を踏み出せたと言えるだろう。構造を理解すること、そういった知識が選択肢を増やす。

原因がわかればあとはどういったジジイになっていくのか、具体的なプランを立てていきたい。

性格的な面で言えば、ミステリアスなジジイになりたい。ジジイは大体あけっぴろげに語る。人生観やら大切にした方がいいこと、過去の栄光など。そういったものが一切見えないジジイになりたい。

過去からの繋がりや思想が一個もわからない。そもそもこの時代の人間なのか?そう思わせるようなジジイを目指している。

それを実現させるためには生活面も徹底しなければならない。意味深な立ち振る舞いをして食がジジイでは意味がない。結局中身はただのジジイじゃないか、そう思われてしまう。

とは言えあからさまにバズってる飯重い飯を食える体力もない。難しいところではある。

カロリーメイトだ。晩年の健康志向のフリ。全くの無駄。完璧だ。しかし口がパサパサになってしまった。

紙パックのリプトンを飲もう。ストロー挿して。次いで午後の紅茶だ。既成品の紅茶は年寄りは逆に飲まない

食が整えばあとは身なりだ。オシャレは足元から。ジジイは足元を気にするはずもない。その虚を衝く。エアフォースワンNIKEハイテクスニーカーを履こう。まーくんに買ってもらおう。

ズボンはかなり穴の空いたダメージジーンズだ。少し王道逆張りな気もするが、ご老体が見え隠れすることで生まれる良さは一つもないため採用した。

腕時計はG-SHOCK一択だ。

しかしこれでは身なりが若者過ぎる。これじゃまるで若さにすがる醜悪なジジイじゃないか。

ここでワンポイント。襟や袖口だけチェックとかになってる長袖ポロシャツ。あえてジジイ御用達アイテム。中にスタスタインナーを着ると尚良い。見えないところにも気を配ろう。

これでNIKEスニーカーダメージジーンズG-SHOCKの意味が全くわからなくなった。

あとはお好みで帽子を被ればよい。ジジイっぽいのでも若者っぽいのでもその日の気分に合わせて被ろう。もう既に意味はわからないのだからどっちでもよい

 

長々と書いてきたが「型破りなジジイ」がようやく完成した。こんなジジイ見たことない。ジジイになるのが今から楽しみだ。

ジジイになった時、人生の最高到達点に辿り着けそうだ。習慣は大事だと改めて感じた。

過酷な幼稚園

比較的過酷な幼少期を過ごした。

とりわけ幼稚園がすごかった。

何が過酷かというと先生がめっちゃ怖かった。

 

暴力こそないものの、めちゃくちゃ叱責はされる。中学校ぐらいで、私は世間とのズレをようやく感じた。

私の幼稚園はヤバかったのか。

 

中でも激ヤバの先生が私の担任だった。その先生が起こしたある事件のことを、私は今でも鮮明に覚えている。

 

私の幼稚園では毎年の恒例行事としてマーチングバンドを行っていた。なかなか珍しいことをしていた。

マーチングバンドと言ってもそんな大層なものではない。所詮、幼稚園生がやっているものでクオリティよりも小さな生き物が頑張っているのを楽しむものである。

 

しかし流石の激ヤバ幼稚園。

マーチングバンドの練習の時点でありえないぐらいキレられる。私は小太鼓を担当していたのだが太鼓を細かく、素早く叩く、

"ロール" がなかなか出来なかった。散々怒られた挙句、出来なすぎて

小太鼓をクビに。中太鼓へ異動させられた。

 

幼稚園にして無慈悲な実力至上主義社会。

シビア過ぎるだろ。

 

また当然ではあるがこのマーチングバンドには本番というものが存在する。と言っても演奏会のようなものではなく、ただ校庭で保護者たちに向けた演奏をするだけである。

 

練習時には他にも、

「今年はダメダメな年だな〜」

という趣旨のことを言われたこともあった。

そんなこと思っても言うな。私たちは保護者たちに演奏を見せるだけではないのか。

 

そんなこともありつつ本番前日を迎えた。

練習では厳しかった先生も、その日の最後には

「みんな明日頑張ろうね!」

と激励の言葉をかけてくれた。そんな優しさがこの先生にも残っていたのか。

 

そして本番当日

ビデオカメラを片手に持った親たちがぞろぞろと校庭に流れてくる。演奏が始まり、比較的滞りなく演奏を終えることができた。演奏終了時には保護者たちから大きな拍手が湧き上がった。

 

その後親たちは校庭から出ていき、子どもたちの後片付けやらが始まった。後片付けやらが一通り終わって園児たちが集められた。

先生からのお話があるみたいだ。

 

その時の先生の第一声が

 

「いやぁ今年は酷かったねぇ

    保護者たちも言ってたよぉ」

 

ヤベーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

幼稚園生でもハッキリわかるぐらいのやばい発言だ。

 

人生のチュートリアル幼稚園で理から外れたことするな。マサラタウンカイリューを出してくんな。

 

ちなみに後日、私の母親に

親たちの間で演奏が不評だったのか聞いてみた。もちろん全然そんなことはなかったとのことだった。

 

ますます激ヤバ先生の意図がわからない。